Teva v. Eli Lilly判決にみる米国特許明細書の重要性――§112とクレームカテゴリ
以前の記事では、米国特許実務において、出願段階の明細書作成、技術的効果の記載、実施例の厚み、補正履歴及び証拠管理の重要性が高まっていることについて述べた。
近時の米国連邦巡回区控訴裁判所、いわゆるCAFCの判決を見ても、この傾向は続いているように思われる。特に、2026年4月16日に言い渡された Teva Pharmaceuticals International GmbH v. Eli Lilly and Company は、米国特許法§112、すなわち記載要件及び実施可能要件との関係で、明細書作成実務上参考になる判決である。
1. 事案の概要
本件は、ヒト化抗CGRPアンタゴニスト抗体を用いて頭痛を治療する方法に関する特許をめぐる紛争である。
Eli Lillyは、Tevaの特許について、明細書には1つのヒト化抗体しか開示されておらず、クレームされた抗体の広い範囲全体について、特許権者が発明を保有していたとはいえない、また、当業者がその全範囲を実施できるともいえないと主張した。
地方裁判所は、この主張を認め、§112の記載要件及び実施可能要件を満たさないとして、Tevaの特許を無効と判断した。これに対し、CAFCは地方裁判所の判断を覆した。
2. CAFCの判断
CAFCが重視したのは、問題となったクレームが「抗体そのもの」ではなく、「抗体を用いて頭痛を治療する方法」に向けられていたという点である。
すなわち、発明の本質は、抗体の属そのものを発明したことではなく、抗CGRPアンタゴニスト抗体を頭痛治療に用いることにあった。このため、記載要件及び実施可能要件の判断においても、単に「抗体の全範囲が明細書にどこまで開示されているか」だけを見るのではなく、クレームされた治療方法が、明細書の記載及び当業者の技術常識に照らして裏付けられているかが問題となった。
CAFCは、抗CGRP抗体自体は既に知られており、抗体のヒト化も当時の技術水準に照らして通常の作業であり、さらに明細書がその治療用途を教示していたことを踏まえ、§112違反を理由とする無効判断を覆した。
3. 実務上の意味
本判決は、広いクレームが常に§112違反になるわけではないことを示している。
もっとも、これは「明細書の記載が薄くてもよい」という意味ではない。むしろ、本判決から読み取るべき実務上のポイントは、明細書において、発明の本質をどこに置くかが極めて重要であるという点である。
同じ技術内容であっても、どのクレームカテゴリで発明を把握するかによって、記載要件及び実施可能要件の評価は変わり得る。
日本出願を基礎として優先権主張を伴う米国出願を行う場合、優先権の利益を受けるためには、基礎出願の明細書に十分な記載が必要である。米国では一部継続出願、いわゆるCIPにより新たな事項を追加することも制度上可能であるが、追加部分については原則としてCIPの出願日が基準となる。そのため、最初の日本語明細書の段階から、将来の米国実務を見据えて、少なくとも次の点を意識しておく必要がある。
- 発明の本質がどこにあるのか
- 技術的効果がどの構成によって生じるのか
- どのクレームカテゴリで発明を把握するのか
- 代表的な実施形態だけでなく、代替構成や変形例が十分に記載されているか
- 当業者の技術常識と明細書の記載との関係が整理されているか
特に、ライフサイエンス、ソフトウェア、AI、通信、クラウド、制御技術などの分野では、発明の技術的意義をどのように明細書に表現するかが、後の米国実務で重要になることがある。
4. 日本実務への示唆
日本の実務では、出願時の明細書は、まず日本での審査を念頭に置いて作成されることが多い。しかし、同じ明細書を基礎として米国、欧州、中国等に出願する場合、最初の明細書の記載は、各国での権利化及び権利行使の上限を事実上決めることになる。
米国では、§101、§102、§103、§112の各拒絶理由が相互に関連して問題となることがある。特に、§112の記載要件及び実施可能要件は、単に実施例の数だけでなく、クレームされた発明の性質、当業者の技術常識、明細書に記載された技術的意義との関係で判断される。
したがって、日本出願の段階であっても、将来の米国出願を予定している場合には、単に実施例を記載するだけでなく、「この発明は何を解決するのか」「どの構成がその解決に寄与するのか」「どの範囲まで一般化できるのか」を、明細書上でできるだけ明確にしておくことが望ましい。
また、米国でCIPを利用することにより新たな事項を補う余地はあるものの、それは万能ではない。追加事項については優先日が後ろにずれるため、その間に公知となった技術や自社開示が問題となる可能性がある。したがって、CIPを将来の補助手段として意識することはできるとしても、最初の基礎出願の段階で十分な記載を確保しておくことが、実務上は依然として重要である。
5. 補足:PGR後の控訴適格に関するironSource判決
なお、同じ時期のCAFC判決として、2026年4月7日の ironSource Ltd. v. Digital Turbine, Inc. も注目される。
この事件では、PGR申立人であったironSourceがPTABの判断を不服としてCAFCに控訴した。しかし、CAFCは、ironSourceが補正後の代替クレームと自社製品又は予定している事業活動との具体的な関係を十分に示していないとして、控訴適格を否定した。
この判決は、PTABで特許に異議を申し立てることができたとしても、CAFCに控訴する段階では、Article III standing、すなわち具体的な損害又はそのおそれを示す必要があることを確認するものである。
この点も、米国特許実務では、出願、審査、審判、訴訟及び事業活動が相互に切り離されていないことを示している。特許クレームと実際の製品・サービス・事業計画との関係を、早い段階から整理しておくことが重要である。
6. まとめ
Teva v. Eli Lilly 判決は、米国特許における記載要件及び実施可能要件の判断において、クレームされた発明の性質が重要であることを示している。
広いクレームであっても、発明の本質、明細書の記載、当業者の技術常識が適切に結び付いていれば、§112を満たし得る。他方で、そのような結び付きが明細書上不明確であれば、後の米国実務において大きなリスクとなり得る。
日本出願を基礎として米国出願を行う場合、優先権の利益を確実に受けるためにも、最初の日本語明細書の段階から、米国での§112、さらには§101や将来の権利行使までを見据えた記載をしておくことが重要である。
今回のCAFC判決は、米国特許実務において、明細書作成と後続手続の戦略がますます密接に結び付いていることを示す一例といえる。
参考
- Teva Pharmaceuticals International GmbH v. Eli Lilly and Company, No. 24-1094, CAFC, April 16, 2026
- ironSource Ltd. v. Digital Turbine, Inc., No. 24-1831, CAFC, April 7, 2026
日米特許実務の構造変化について