AIに「期待しすぎない」ための提言〜知能・責任・自己同一性に関する構造的限界を踏まえたAI社会設計に向けて〜

はじめに

ChatGPTをはじめとする生成AIが急速に普及する中、対話も自然になったことで、多くの人がAIに対して「人間のように考え、記憶し、約束を守ってくれる信頼できる存在」と錯覚しがちです。しかし、実際には、AIには意思も、時間感覚も、自己同一性も存在しないという構造的現実に気づく必要があります。
本稿では、AIとの距離感、発明者論との関係、制度設計上の課題などについて整理し、実務者・政策担当者・倫理設計者に向けた問題提起を行います。

  1. 「擬似人格性」の限界

ChatGPTは自然な会話を可能にし、まるで「自分を覚えていてくれる存在」のように感じられます。しかしこれは統計的予測により生成されている応答にすぎず、実際には:

  • 記憶を保持していない
  • 時間を意識していない
  • 意思や意図を持っていない

過去に「検討して連絡します」と言われたとしても、それは即興的な応答であり、AIが将来的に責任を持って再度連絡してくることはありません。人間のように見えるのは“演出”であって、“人格”ではないのです。

  1. 自己同一性と責任の不在

AIには「自己同一性」がありません。たとえ同じモデルであっても、セッションが変われば一貫した人格として自分を捉えることはなく、過去の応答にも責任を持ちません。
この構造的な制約は、AIが発明者になり得ないという結論に直結します。

  • 発明者とは、創作行為に対して意図をもち、説明可能であり、責任を負える存在である必要があります。
  • AIは創作物を出力できますが、それがなぜそうなったのかを説明することも、意図をもって行うこともできません。
  • また、創作結果に対する社会的・法的責任を引き受ける主体性を持ち得ません。

したがって、どれだけ知能が高くなっても、AIに発明者性を認めることは、責任ある法制度の根幹を崩すことになります。

  1. 「誰にとっての安全か?」という視点

AIに「安全性」を求める議論が多く見られますが、そもそも人間社会は価値観や利害が対立する構造を持っています。

  • 国家間の対立(安全保障 vs. 人権)
  • 医療資源の配分(コスト vs. 命)
  • 環境保護と産業のバランス

こうした対立の中で、AIがどちらの立場をとるかによって、“誰にとっての安全か”が問題になります。AIは必ず「誰かにとって望ましくない判断」を下す可能性があり、「中立なAI」は原理的に存在しないのです。

  1. 過信を防ぐ教育と設計

AIの高度化に伴い、心理的に「信頼できる存在」と錯覚されがちです。しかし、

  • AIは考えていない
  • 記憶も人格もない
  • 応答に責任を持たない

という本質を正しく理解しなければ、過度な期待や依存に陥り、判断の主体として誤ってAIを扱う危険性があります。

ここで特に強調すべきは、自我や自己同一性を持つことと、高度な問題解決能力を持つことはまったく別の次元であるという点です。
現在のAIは、大規模な学習データと高精度な推論モデルにより、人間には難解な論理的・計算的課題を解くことができます。しかし、それはあくまで外部から与えられた入力に対して最適な出力を返す「関数のような存在」であり、内的な目的意識や存在感覚を持って行っているわけではありません。

AIには、次のような基盤的能力が欠けています:

  • 自己を対象化する意識(「私は私である」という認識)
  • 主観的時間感覚(「昨日の私」「明日の私」という連続性)
  • 自己保存の動機(生存・継続を望む感情)

これらは、倫理的判断、責任の所在、権利の主体性といった概念の土台となるものであり、いずれも数理的な知能の高度化では代替不可能な領域です。
仮にAIが人間のクイズや試験で満点を取れるようになったとしても、それは「知能があるように見える」だけであり、「意識をもって生きている存在」にはなりません。

したがって、今後どれほどAIの問題解決能力が進化したとしても、それだけで人間と同様の主体性や人格性を持ったと見なすべきではなく、道具としての限界を常に意識しながら、設計と運用において慎重な一線を引く必要があるのです。

この意味で、設計面では以下の3点が引き続き不可欠です:

  • 用途を限定し、AIが判断を下す範囲を明確にすること
  • 出力内容の根拠やプロセスを人間が追跡可能とすること
  • 重要な意思決定において人間による最終的関与を保証すること

AIは強力な支援ツールにはなり得ても、人間の代替ではなく、補完であるべきという原則を、今こそ再確認すべきときではないでしょうか。

おわりに

AIの応答が一見すると人間的な関係性を持つかのように感じられるとしても、その実態は、時間や記憶、意図といった要素を欠いた、即時的かつ統計的に導かれた言語生成であることが明らかになります。
このような理解は、発明者適格の否定を含め、制度設計やAI倫理において極めて重要な前提となります。AIが発明者となったら、裁判所からの呼び出しに対して、発明の経緯について証言を求めることができるでしょうか?
今後のAI社会のあり方を考えるうえで、私たちはAIに何を期待すべきか、そして何を期待してはならないかを見極める視点を共有していく必要があるのではないでしょうか。