商標権の侵害リスクと先行登録の強み

出願商標が先行登録商標を理由に拒絶された場合、そのまま使い続けることで生じうる商標権侵害のリスク評価が不可欠である。

これには、さまざまなケースが考えられるが、大企業が自社ブランドを守るために綿密なブランド戦略の下で膨大な商標登録出願をする例はよくある話なので、ここでは逆のケース、先行登録商標を保有する商標権者が個人や中小企業など相対的に小規模事業者、拒絶理由通知を受けた商標登録出願人側が相対的に大規模事業者であるとする。

「相手はうちよりずっと小規模な会社だし、実害も出ていないだろうし、まさかそんな会社が当社を訴えてきたりはしないだろう」と安易に考えて、商標の使用を継続する判断をするとどうであろう。今回は、小僧寿し事件(最判平成17年11月10日)とAppleとアイホンの事例を通じて、この点を再考したい。

【小僧寿し事件に見る差止の現実】 小僧寿し事件は、原告の登録商標「小僧」に対し、「小僧寿し本舗」との間でフランチャイズ契約をしていた被告が使用していた標章のうちの一部の標章「KOZO」が類似すると認定された1。もっとも、被告の営業規模が小さく、原告の営業に損害が生じたとは言えないとして、商標法38条1項に基づく損害額の推定は覆された2。損害賠償請求は否定されたが、差止請求は認容された3。商標法36条に基づく差止は、損害の有無に関わらず成立する。ここに多くの人が見落としがちな盲点がある。

仮に、仮に損害賠償請求が認められなかったとしても、差止が認容され、商標の使用を継続できなくなる可能性があることをこの事件は示している。

【Appleとアイホンの事例:戦えるが戦わないという選択】 日本には「アイホン株式会社」というインターホンメーカーが存在し、1950年代から「アイホン」の商標を使用していた。一方、Appleは2007年にiPhoneを発表したが、日本では「アイホン」との発音の類似から、商標上の問題が生じた。Appleは訴訟ではなく、アイホンと協議を行い、使用許諾を受けるライセンス契約を締結することでiPhoneの名称使用を可能にしたとされている。

ここでも共通するのは、商標権者であるアイホンが相対的には小規模な国内企業4であり、Appleがグローバルに展開する巨大企業であったという構図である。仮にAppleが訴訟を選んでいたらどうなっていたか。商品分野の違い、英語表記の差異、Appleブランドの独自性、混同可能性の低さなどを理由に、損害の発生も混同の恐れも否定され、勝訴できた可能性もある。だが、Appleはそれを選ばなかった。

注目すべきは、アイホンがこの件で訴訟に頼ることなく、既に確立された商標権を背景に大企業との間でライセンス契約を成立させた点である。アイホン側としては、自社ブランドを保護するため早期に商標権を取得していたことにより、ブランドの使用継続を望む相手から、予期せぬ継続的な使用料収入を得る立場を確保できた。このように、商標権は企業規模にかかわらず、一定の交渉力や収益機会をもたらす重要な知的財産となり得る。事業規模が小さい企業こそ、早期の商標登録によってそのポジションを築いておくことが有効である。

知財担当者としては、「戦えば勝てる」と判断したかもしれない。だが、経営者にとって重要なのは、ブランドの即時展開と市場投入のスピード、さらには訴訟によるリスクの最小化である。年間数億円の使用料を支払うことは、グローバルブランドを守るための必要経費に過ぎない。

このように、「訴訟に勝てるかどうか」と「訴訟をすべきかどうか」は、まったく別の判断軸である。

商標権の使用差止めは、たとえ損害がなかったとしても命じられることがある。しかも、ブランドや名称を変更するコストは、訴訟の結果以上に企業活動に深刻な影響を与えることがある。その意味で、商標のリスク管理は、「将来的に訴訟が起きたとき、差止を受ける可能性があるか」に着目して行うべきである。

小僧寿し事件が教えるのは、「損害がなければ使ってもよい」という甘い見通しが通用しないこと5。そして、Appleの事例が示すのは、「勝てるかどうか」ではなく、「どう守るか」という視点がいかに重要かということである。さらに、アイホンの例は、小規模事業者であっても、早期の商標登録によって大手企業とのライセンス契約を成立させることができるという、知的財産の攻守両面での価値を明確に示している。ブランドを守るために、何を選択すべきか。それは法的知識だけでなく、経営的な視点をもって初めて導き出される答えなのかもしれない。

  1. 先行登録商標が存在するにもかかわらず、複数の標章の多くが「非類似」と判断された点は批判もあるようである。しかし、最高裁判決であり、実務者の立場では無視できないと思われる。
     https://lex.juris.hokudai.ac.jp/coe/articles/tamura/casenote99b.pdf ↩︎
  2. これは、「損害の発生していないことが明らかな場合にまで損害賠償義務があるとすることは,不法行為法の基本的枠組みを超える」と判示した最高裁判決によるものであり、損害不発生の抗弁(損害推定の覆滅事由)などと呼ばれている。しかし、そもそも損害の発生と損害額はいずれも権利を主張する側に主張立証責任がある。小僧寿し事件は実質的には推定覆滅というよりかは原告側が使用料相当額の損害発生を立証できなかったとみることもできるのではないか。 ↩︎
  3. もっともこの事件の場合、使用されていた複数の標章のうちの1つのみが差止められただけであり、実質的な営業への影響は小さかったものと思われる。 ↩︎
  4. アイホン株式会社は2025年現在、資本金53億円、東証プライム市場及び名証プレミア市場への上場企業であり、連結2000人超のれっきとした大企業ではある。 ↩︎
  5. 商標権者側の視点でいえば、たとえ権利者であるとしても実質的な損害が発生していなければ訴えても損害賠償請求は認められないということ。 ↩︎