技術を普及させる知財戦略——オープンとクローズの最適解
技術はなぜ広がり、なぜ埋もれるのか
現代のビジネスにおいて、いかに優れた技術やアイデアが存在しても、それだけで市場を制することはできない。技術の普及と社会実装を決定づけるのは、技術力そのものよりも、どのような知財戦略を設計し、どこを開放し、どこを守るかという「オープンとクローズ」の戦略設計である。
Linuxが世界中で普及し、事実上の標準インフラとなった理由。Microsoftがクローズド戦略からオープン・協業路線へ転換した理由。通信・IT分野で標準必須特許(SEP)が生まれ、FRAND条件のもとで技術が広がった理由。
そのすべての根底には、「技術を社会に普及させ、持続的な競争力と収益性をどう両立させるか」という知財戦略の本質がある。
Linux、OSS、標準必須特許が示す“知財戦略”の本質
Linuxは、1991年に学生リーナス・トーバルズが「GPL」というオープンなライセンスのもとでカーネルを公開したことで、一気に世界中の開発者や企業を巻き込み、想像を超える速度で進化と普及を遂げた。
「GPL(GNU General Public License)」とは、ソフトウェアの利用・改変・再配布を誰でも自由にできることを法的に保障したライセンスである。最大の特徴は、GPLで公開されたソフトウェアを利用した派生物も同じGPLで公開する義務が生じる“コピーレフト(copyleft)”の仕組みにある。コピーレフトは、本来「著作権による保護」を意味する“コピーライト(copyright)”の反対の発想から生まれた言葉であり、“自由を奪うためではなく、自由を守るために権利を行使する”という考え方が根底にある。
つまり、「自由なソフトウェアは今後も自由であり続ける」ことが契約として徹底され、全ての関係者に“安心と明確なルール”を与えた。この契約設計があったからこそ、多様な開発者や企業が安心して参加し、競争と協力が両立した巨大な“エコシステム(生態系)”が誕生したのである。
ここでいう「エコシステム」とは、自然界の生態系になぞらえ、一つの技術や製品を核にして、多様な企業や個人がそれぞれの役割で関わり、全体として価値を高め合う仕組みを指す。Linuxで言えば、カーネル開発者、ディストリビューター、アプリ開発者、サポート企業、エンドユーザーなどが互いに影響を与えながら全体が発展していく。この“つながりの広さと強さ”こそが、技術が単なる流行や一過性に終わらず、社会基盤として定着する原動力となった。
現代社会において、Linuxは単なる一つのOSではない。ウェブサーバやクラウド、スマートフォン(Android)、スーパーコンピュータ、自動車、家電、ネットワーク機器、AIやIoTなど、目に見えないインフラから最先端領域まで広く深く浸透している。
たとえば世界のウェブサーバの大半がLinuxで稼働し、クラウド市場でも主要な仮想マシンの多くがLinuxベース、スーパーコンピュータTOP500の99%以上がLinuxを採用し、AndroidスマートフォンもLinuxカーネルを基盤としている。Linuxは、現代のデジタル社会を支える「公道」とも呼ぶべき存在となったのである。
Linuxがここまで拡大した背景には、優れた設計や個人の才覚だけではなく、「法的な安心感」をもたらしたGPLの存在があったという点を、知財戦略を考えるうえで忘れてはならない[*1]。
一方で、商用UNIXやWindowsは長らくクローズド戦略を取り、高い収益性やブランド力を維持した。しかし、OSSやクラウド技術の台頭によって閉じたままでは成長の限界を迎え、Microsoftも自社技術のオープン化、Linuxとの共存、OSSコミュニティとの協業に舵を切るに至った。
マイクロソフトの転換に見る「共存」時代の到来
かつて「Linuxは知財のがん」とまで言われた時代から[*2]、現在のMicrosoftは積極的にOSS・Linux技術を自社に取り入れ、AzureクラウドやWSL(Windows Subsystem for Linux)、GitHubの買収、主要OSSプロジェクトへの参画などを通じて、オープン化と協業の新たな価値を創出している。
この動きは単なる技術選択の転換ではない。「自社だけで全てを独占する時代は終わり、複数プレイヤーが共存するエコシステムに価値が移った」という市場構造そのものの大変革を示している。
通信やデジタル標準の世界で重要な役割を果たしてきた標準必須特許(SEP)もまた、知財権の独占性と技術普及を両立させる「FRAND条件」を設けることで、業界全体のイノベーションと競争力を支えている。
オープンで攻め、クローズで守る——戦略的バランスの設計
知財戦略は、単に“すべてを開放する”あるいは“すべてを独占する”といった単純な二元論ではない。重要なのは「どこを開き(オープン)、どこを閉じる(クローズ)か」の最適バランスを状況ごとに見極め、柔軟に設計することである。
オープン戦略を採ることで、多くのプレイヤーや市場参加者を呼び込み、エコシステムや技術標準を拡大できる。GPL、MIT、BSDなどのOSSライセンスの活用はその典型例である。一方で、クローズ戦略(特許の独占的行使、ノウハウ秘匿、ブランドの囲い込み等)は、差別化や収益確保、コア技術の競争優位維持に不可欠である。
特に重要なのは、「自社のコアコンピタンスがどこにあるのか」を冷静に見極めることである。コアコンピタンスとは、一般的に“他社には容易に真似できない自社独自の中核的な強み”を指し、技術・ノウハウ・ブランド・組織能力など、企業競争力の源泉となる部分である。
このコアコンピタンスは、クローズド戦略でしっかり守り抜く一方、非コア部分や業界標準化が有効な領域は積極的にオープン戦略をとり、協業を促して市場全体を拡大することが、現代の知財戦略において最も成果を生む。
たとえば、基盤技術やAPIはオープン化し、他社との連携や市場形成を加速させつつ、独自のアルゴリズムやサービス部分については、「公開して独占権を得る」特許出願、もしくは「一切公開せずに守る」営業秘密(トレードシークレット)など、適切な知的財産権・ノウハウ管理で守りを固めるアプローチが考えられる。
ここで注意すべきは、「特許出願すればクローズ戦略になる」と単純に考えてしまう誤解である。
特許出願により一定期間は独占権が認められるが、その内容は早期に公開されるため、完全な秘匿(クローズ)とはならない。
本当に自社だけが知り得る状態で独自性を維持したい技術やノウハウについては、むしろ特許出願せずに営業秘密として管理することが、クローズ戦略として有効である場合もある。
このように、“コアを守り、周辺を開く”というメリハリの効いた知財戦略においては、公開型(特許)と非公開型(営業秘密)の使い分けも、極めて重要な意思決定となる。
標準必須特許(SEP)と知財の新しいバランス
通信、IoT、AIなど複数企業・技術が関与する分野では、標準必須特許とFRANDルールのような「適度に開かれた独占権」が技術普及と競争力の両立をもたらす。
権利者の利益を守りつつ、業界全体のイノベーションを促進するためには、法的枠組みと実務ルールを緻密に設計する必要がある。
このような複雑な利害調整こそ、現代の知財戦略の醍醐味である。
企業における知的財産部門の役割は、知的財産権の取得、維持、権利行使といった日々の業務にとどまらず、経営戦略に積極的に関与していくことが求められる。さらに、他部署との連携、時には社外の同業や異業種、大学や研究機関等、あらゆる組織と適切に連携しながら企業価値を高めていくことに貢献できるのも知財部門の大きな使命である。
当事務所は、そのような知財部門の皆様の後方からの実務支援パートナーとして、的確かつ柔軟なサポートを提供していきたい。
脚注
[*1] トーバルズ自身も後に「技術そのものよりも、GPLライセンスを選んだことが最も重要だった」と繰り返し述懐しているが、まさにGPLが「自由な利用・改変・再配布」という安心とルールを全関係者に保証したことが、巨大な“エコシステム(生態系)”の形成につながったといえる。
[*2] Steve Ballmer(Microsoft元CEO)、2001年のインタビューにて
“Linux is a cancer that attaches itself in an intellectual property sense to everything it touches.”
出典:The Register, 2001-06-02
https://www.theregister.com/2001/06/02/ballmer_linux_is_a_cancer/